山、森林(公園も)などの自然は、セラピストであり、ケアもしてくれます。自分がそれを受けられるかは、自然に委ね、何を感じ受け取るかで違います。あなたは何を感じ、気づき、変化していくのか・・・

森林や川など自然というフィールドと東洋学的観点、身体感覚的(ボディワーク的)観点から、自然と心と体の関係性を知り、自分の存在を認め、健康的であることを見つけるサポート

つながり

つながり

なぜ森林に行くのか?

私たちは昔から自然と共に暮らしています。文明の発達により自然と共に暮らすことが失われつつあります。そして、文明の発達は色々なことが便利になった分、情報の散乱、常に時間に追われる生活など様々なストレスや肉体的、精神的負担を強いられるようになりました。

そこで、森林で癒されたり、パワーをもらったり、肉体的、精神的にスッキリするということを私たちは、何となくとまたは自分なりの理由で知っていて、そのために自然に行くのではないでしょうか?

では、この何となくや自分なりをもっと明確により深くできないのでしょうか?

できるかもしれませんし、できないかもしれません

それは自分自身が森林から何を感じ、受け取り、どう繋がったり、共調するのかを素直に受け入れたり、委ねたり、対抗しない(壁をつくらない)でいられるかどうかだと思います。

森林は自然の中で動いている

森林は自然の流れの中で動いてますし、人のために何かをしているわけではありません

山や森林という自然の中に私たちが入るのですから、こちらの一方的な想いや振る舞い、流れに委ね受け入れなければ、何も感じられないでしょう。

しかし、自然に委ね受け入れられれば、
森林の流れを感じ取れるようになり、風の流れが心地よく気分が軽くなったり、
鳥のさえずりや木々のこすれる音が心を和ませ囚われから解放してくれたり、
または、巨木の根の張り具合や太く高く伸びている様が、力を与えてくれるかもしれません。
そして、川の流れや枝の無駄のない捻じれ方や森林全体が無駄なくしなやかに感じられるかもしれません。

自然と自分、日々の生活と自分は同じよう

これは日々の生活や仕事や人間関係と同じようなことであったり、また物事の捉え方を変えたり、ストレスからの解放など落ち着いていられる状態のヒントにもなり、森にいなくてもその感覚、捉え方、流し方など、自分にとって良好な状態でいられる、もしくはストレスを抱えたりしても、そこから抜け出せることになれると思います。

例えば
・風の流れが心地よく感じて気分が軽くなると感じられたのなら、せわしいと感じている時間も自分が時間に向かっていっているのではなく、風の流れに任せているように、時間の流れに任せていると捉えられれば、肩の力も抜けるかもしれません
・鳥のさえずりや木々のこすれる音が心を和ませ、囚われから解放したと感じたのなら、自分でその体験はしているので、それを思い出したり、庭先や移動中などの鳥のさえずりや木々の音を聴いて思い出したりして、日々の生活の囚われからも解放できるかもしれません
・落ち込んだり、エネルギーがないと感じたとき、巨木の力強さを思い出したりして力をもらうのも良いでしょうし、近くにたくましいと感じる木があれば体験を思い出してみるのも良いかもしれません

・木々の無駄のない並び方は自然の中で自分がありながらも森林としての秩序を保とうしていたりします。(公園は人工的で人の管理が必要ですが、その中でもそれぞれ個性があり秩序もあると思います)
これは人間関係とも似ています(公園はもしかしたら親子関係といえるかもしれませんね)
・山、森林全体でいえば社会と例えられるかもしれません
そこから見えてくるものがあったりするかもしれません

このように、森林で体験したことを日常で活かすことはいくらでも、どのようにも、自分自身でできるのではないでしょうか

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